我が家の歩み -発病編-

私たち夫婦はH14年に結婚をし同年長男が生まれます。
ここから「うつ」が発病し本格的な戦いが始まります。

<発病>

長男が生まれてまもなく、妻は「うつ状態」に入りやすくなっていきます。
家事・育児が自分の思っていたようにできないと思い悩み、自分を責め始めます。

部屋の掃除ができなくなり散らかり放題になり、食事もまともに作れない。
さらに、育児の方法、大変さで思い悩み、追い討ちをかけるように夜泣き。
私の仕事も朝方帰って来る仕事のため、ほとんど子供と二人きりで
生活しているような状態が、さらに「うつ」に加速をつけました。

そして、自殺未遂を起こし始めます。

そうなると、「子供の事を考えて」「力を抜いて自分のペースでやっていけばいい」など、
話をして止めるのに必死。

当時は、「うつ病」とは思ってもいませんし、当然「うつ病」の知識もありません。
妻を怒ったり、励ましたりしたことも何度もありました。

そしてH16年初め、私たち夫婦につらく悲しい出来事が起こります。
私たちは新しい命を授かりました。
しかし、喜びもつかの間、妊娠3ヶ月目に、病院から帰ってきた妻が、
「赤ちゃんの頭の形が変形している」
と言ったのです。

まったく予想もしていない出来事に状況を飲み込めませんでした。
二人で話し合った結果「せっかく授かった命、いくらお金がかかっても治してあげよう」
と思い、生む決心をしました。が、また事態は急変します。

精密検査の結果、頭蓋骨から脳がはみ出てたのです。
医師にも「99%生まれても生きれない」と言われ、中絶(書類上は死産)
という形を選びました。

しょうがないと分かっていながら、
自分たちの判断で生きている命の灯を消してしまったことに、
私たち夫婦は、苦悩、悲しみのどん底にいました。


それから2ヶ月後妻は病院に行くことになります。


診断された病名は「うつ病」。


ここから半年間私にとって想像を絶する生活に突入します。

食事がない、部屋が散らかっているのは日常茶飯事。
私自身の我慢も限界を超えて、「うつ病」に対して腹立たしさを憶えます。

こうなると、すべてが悪循環。
妻はそれを感じ取り「全部私が悪い」と思い込み、「うつ」が悪化。
頑張って家事をしようとしても、当然できない。
これの繰り返しです。

ある日仕事中に妻から電話がありました。

その話し声は明らかに普通の声ではありません。
私は仕事を切り上げ家に飛んで帰えると、
そこには散らかった部屋で、意識がもうろうとした妻の隣で
子供が1人で遊んでいます。

以後何度か同じことが起きます。
つらくなった妻が薬やお酒を大量に飲んでいたのです。

その光景を見るたびに、胸が締め付けられました。

私はここでやっと「うつ病」について調べ始めます。

妻が「うつ病」になった時点で、しっかり病気のことを知っておくべきだったと思います。

しかし、うつ病のことを勉強し対応しましたが、なかなかうまくいきません。
「体調が悪かったら、何もしなくていいよ」と言っても、妻は余計にやろうとします。

「一緒に掃除をしよう」と言ったら、掃除ができない自分を責め始めます。

そんな私たちは大きな転機を迎えます。
それは、引越しです。
「うつ病」の人は環境がとても大事です。
なるべくは引越しを控えたほうがいいらしいのですが、隣人問題等もあり
思い切って引越しをすることになりました。

これが新たな戦いの幕開けでした。

⇒ 我が家の歩み-引越し~依存症編